大学在学中から映画業界に関わり、入江悠監督や鈴木章浩監督のもとで助監督として経験を積み、青木研次に師事。19歳からは映像ディレクターとしてCMやPVを手がけ、卒業後はフリーランスとしてオリジナルビデオやインディーズ映画で企画・脚本・監督を務めた。プロデューサーの奥山和由の提案で伊坂幸太郎の小説「オー! ファーザー」の脚色を手がけ、商業映画監督デビュー。以後、「TOKYO CITY GIRL」、「全員、片想い」、「青の帰り道」、「デイアンドナイト」などの作品を手がけ、19年には社会派映画「新聞記者」で日本アカデミー賞の優秀監督賞を受賞し、観客動員数33万人、興行収入4億円を突破する大ヒットを記録した。